ARTY PEOPLE 第六回 — 梅沢和木 アーティスト

「ARTY PEOPLE 」(アートな人々)

毎回、ゲストとともに「アート」について、気軽に、飾らず、ざっくばらんに話す企画。ゲストは、文字通り「アートな人々」:クリエーター、アーティスト、コレクター、ギャラリスト、オークショナー・・・などなどなど、様々な分野のプロフェッショナル。

第六回:梅沢和木 アーティスト

 

梅沢 和木(うめざわ・かずき)

1985年生まれ。武蔵野美術大学映像学科卒業。美術家。インターネット上に散らばる画像を集め再構築し、圧倒的な情報量に対峙するときの感覚をカオス的な画面で表現する作品を制作し、発表している。主な展示に「カオス*ラウンジ2010 in 日比谷」(2010年 高橋コレクション日比谷)、「大地と水と無主物コア」(2012年 CASHI)等。


撮影:助田徹臣
Photo by Tetsuomi SUKEDA

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出会い

M(Matsushima CASHI):まず私は彼のことを普通にインターネットで知っていて。梅ラボっているなって。で、これは面白いなって思っていて。梅沢は梅沢で、CASHIのことは何となく知ってくれていたらしくて。「なんか若いのがギャラリー立てたらしいから、タメらしいから、一回行かなきゃな」って思っていてくれたらしくて。 会ったのは2009年の頭ぐらいです。2008年に(CASHIを)立てたので、ちょうど開廊して一年後くらいに梅沢が一度展示を見に来てくれたんですよね。彼は顔が結構特徴的ですから、CASHIに来て、ひょっと奥のオフィスを覗いたんですよ。その瞬間に私が「梅ラボだーーーっ!!!」って叫んで(笑)。で、あっちは、「何、この人。なんで知られてんの?」って感じで。

N(NAYO):はは!(笑)じゃあアポイントとか取ったわけじゃなくて、普通にそのままいらっしゃったんですね。

M:そうです、そうです。展示を見に来てくれて、で「梅ラボだーっ!」で、「うちで展示しない?」って。すぐ(笑)

N:そうなんですね!

M:その頃彼は、Frantic Galleryさんというところでお世話になっていたのですが、うちは特に所属でガチガチに縛ったりしないギャラリーなので、というか若い作家なんて縛っていてもしょうがないし、どんどんいろんなところでやって欲しいと思っているんで、「まずはグループ展からやろうよ、タメだしオタ話も出来るし、同年代じゃないと、作品の中に散りばめられたゲームの話なんて出来ないから!」と口説きました(笑)。彼は、作品に使うモチーフだけでなく、作品のタイトルにファイナルファンタジー5のラスボスの名前をつけたりもしていたので、やっぱりそういうのは同じ時代を生きてゲームをやってきた人間じゃないと共有できない部分があるんじゃないかな、と思って。

N:へえ。

M:作品に使うモチーフも、御存知の通りやっぱりオタク的なものばかりです。昔(2008年頃)の作品は結構キャラクターやアニメの画像は小さく、少し隠されて入っているんですが。よーく拡大すれば、目とか、キャラクターを知っている人は、分かったりはするんですけど、まだちょっと、隠していましたね。近年になってきてからですね。こんなに大きく、全面にキャラクター達が出てきたのは。

今でこそオタ文化もポピュラーになってきて、オタであることをオープンにする人がとても増えてきたけれど、昔はひた隠しにする人も多かったんです。梅沢も、オタ文化が好きっていうことをオープンに、作品に反映するようになったのは大学の卒業制作からです。私は彼に比べてヌルいオタですが、そういう過程というか気持ちは同じ趣味を持つものとしてすごく通ずるものがあって。共感しました。 で、グループ展をやって、その後うちで個展をやることになるのですが、それまで少しブランクがありました。というのも、Frantic Galleryさんでの個展の予定が前から決まっていたので、まずはそちらの制作に集中してもらって。私も一観客としてとても楽しみにしていました。 無事個展は大成功し、色々あってうちに正式に移る、ということになりました。で、作品も結構変わって来て、キャラもどんどん前面に出るようになって…という。

N:松島さんは、こういう(梅沢さんの作品)絵の、どこになにが使われているかって全部分かりますか?

M:全部はわかりません。私は、分かるものは分かるけど、分からないものも多いから、梅沢に聞きますね。これはどこのどれ?って。説明されても忘れたりすることもあります(笑)

N:いま、何年目ですか?

M:いま四年目ですね。梅沢と一緒にやるようになってから、四年目です。

N:松島さんにとって、梅沢さんの魅力ってなんですか?やっぱり「推し」じゃないですか。

M:推しですね。まあ、こういう現代美術の世界で、ギャラリーとか、作家を紹介する、作品を紹介するお仕事をやっている理由は、みなさんそれぞれあると思うんですが、何個か、美術界の真理と言いますか、誰にでも共通するような大きな理由があると思うんです。多分世界中の、今生きている人達の中で、この人にしか作れない、この人が作るべき、この人にしか出来ない表現と言いますか。「この人しか」というものにぴったりはまっている作品を作る作家。そういうのを扱いたいという思いはみなさんあるんじゃないかと思います。梅沢はそれだと思っています。 例えば、いくらクオリティが高くても、似たようなものを見たことがあるとか、本当に素晴らしい出来のものでも、この作家さんがやらなくてもいいんじゃないかな?と思うような作品に出会うことってあると思うのですが、梅沢の作品はそういう疑問が一切浮かびません。多分、彼しか出来ないことをやっているんです。 クオリティが高いとか、センスがいいとか言ったらすごくありきたりなんですけど、多分同じモチーフを集めて同じ制作方法で作品を作っても、梅沢の作品には誰も届かないと思います。それほど独自性が高い。

梅沢の作品は制作の方法も特殊なので、賛否両論いただいていますが、否定的な方の中にも、耳を傾けてくださる方もいらっしゃるんですね。その中で特に印象に残っているのが、「あなた(梅沢)のやっていることはすごい嫌だし問題だと思っているけど、自分も美術の世界に身を置いているので、あなたのようなものを作れないかと思ってあなたと同じことをやってみた。出来なかった。だから、僕はもう、ひとつの作品としては認める」って言ってくださった方がいたんです。 雑誌に掲載される時なんかでも、どれだけ小さなカットでも、あ、これは梅沢の作品だな、ってわかる。そういう独自性の高さがやはりずば抜けていますね。そこが、ありきたりと言えばありきたりなのですが、推しの理由です。

あとはやっぱり同年代で、同じ時代を生きていること。私はジェネレーションギャップというのは、ある程度はあってしかるべきだと思うんですよ。私も梅沢も85年生まれなのですが、82年から88年くらいまでの間に生まれた人達って、「プレッシャー世代」と言うそうです。上はポスト団塊ジュニアに、下はゆとり世代に挟まれ、不景気などの世知辛い世の中や人間関係に耐えているので、プレッシャー世代って言うそうなんですが。

N:言うんですね。

M:はい。命名した方がいらっしゃったかと。 私達は生まれてすぐバブルが崩壊したので、バブルって覚えていないんですよ。でもパソコンもあったし、インターネットも普及したし、大変恵まれた世代ではあったと思うのですが。でも、就職氷河期は上の世代から受け継がれたまま、少し下をみればゆとりで勉強の方法ががらりと変わり、考え方も大きく違う後輩達がいる。不景気なので未来にすごく希望が持てるような感じでもないまま、大人になるという人生を送ってきた世代だと思うんですが。

N:ふうん。なるほど。

M:かつ、梅沢と私はインターネットに触れていて、オタク要素もある。同じ時代を生きてきた同じ趣味の人の作る作品がどういうものになっていくかというのは単純にすごく興味があります。うちの画廊は、基本的に同年代の若手を扱うことを信念としているので、もっと我々の世代を知って欲しい。そういう意味で、梅沢はひとつの例として、すごく適切なんですよね。若い日本のオタクが、こういうオタ的な素材を使って作品を作るっていうのは、一見すると安直であるとは思うんですけれども、でもじゃあ海外のオタクが同じことをやるっていうのと、日本のオタクがやるっていうのでは全然意味が変わってくるじゃないですか。そういうところで、梅沢は、ひとつの分かりやすいモデルケースになる、と思っています。私達同じ世代のなかの一人として。そこが第二の推しポイントです。時代を象徴していると思います

N:なるほど。すごく分かる気がする。私ほんとに、あの、存じ上げなかったじゃないですか。ヒカリエ で拝見する前は。

M:宣伝不足で申し訳ありません(笑)

N:いえいえ!そんなこと全くなくて。あの、わたし、全然違う領域にいたんでしょうね。

M:ああ〜、きっとそうなんでしょうね。

N:しかも海外にもいたし。日本の動向にもはじめ全く疎かったし・・・で、梅沢さんをあのヒカリエではじめて拝見して、「面白いな」って思ったんですよね。ほんと、図像、直感的に。鏡の作品も印象に残っているけど、キューブも単純にすごく綺麗でもあったし。

M:ええ。なよさんには大きい作品も一度ぜひ見てほしいですね!

N:ええ、すごく見てみたいです。まだ見る機会がなくて。今のところインターネットの検索画面だけですからね。初めて知ってから、私は、検索してですね。私は、あの、全くその世界ではないし、使われているキャラクターのこととか、全く分からない。にも関わらず、とても気になる「なにか」があるなと思いましたよね。それから何件かインタビューも読ませて頂いたんです。それで梅沢さんが基本的にインターネット上にある画像をピックアップしてコラージュして作品を作っていらっしゃると。で、それで「ああ、そうか」ってなんか腑に落ちる部分があったんですけど。なんて言うんですかね、その、上手く言えないんですけど、このリアルな社会のなかで、表層にあがってこないものを、すくい上げて、それをバシバシバシって・・・

M:そうですね。まさに。そう受け取っていただけて嬉しいです。 私自身は、オタ的興味、自分が好きなものを彼も好きだろうから、ということで彼の作品に興味を持ったのが始まりでもあるのですが、オタ興味が特にない、なよさんのような方に感じて頂ける唯一の共通点としては、インターネットに対峙するときの感覚というのがあると思います。梅沢の制作のコンセプトのひとつとして、インターネットという絶対に全体像を把握出来ないもの、いろんな人の欲望と思惑を孕んでいる、蠢く、絶対に全てを見ることが出来ない大きな世界。そういうものに対峙するときの感覚は、多分みんな共有できるんじゃないかなと思います。

なにか分からない力と対峙している、絶対的な情報量と対峙している時の感覚。それを、自分の好きなキャラクターを使って、何重にもレイヤーを重ねたような画面で、カオス的に表現するというのが、彼のコンセプトなんですよね。ですので、オタ的趣味のない方には、インターネットに対峙した時に感じる感覚というのを、梅沢の作品から共通して感じて頂けるかなと、と。だから、なよさんにそう思って頂けるというのは、とても嬉しいですね。

N:そう思いました。ほんとに。こう、ほんとに、おっしゃったような、蠢く・・・「社会の裏」というわけではないんですけど、人間が感知出来ない「暗黙の領域」みたいなものなのか。「集合的無意識」とか。その辺りまで、なんかこう関わってくるような気がしましたよね。上手く言えません。

M:ええ、嬉しいです。ほんとは皆にインターネットやってもらって、それを感じてもらうのが一番分かりやすいんですけど、まあそれだと美術にならないですし、世代や環境の差でインターネットをやらない方もいらっしゃるし、いろんな方がいるので。じゃあ美術としてどういう作品を作るか、っていうときに、ああいった大きな作品でカオスな画面で表す、と。分かってもらえて嬉しいです。

N:直感的に、なんか「おや」って思うものがありましたよね。「暗黙の領域」のことを扱っているような感覚だけは、なんか、本能的に分かる、みたいな。そんな力を梅沢さんの作品からは感じます。

 

(梅沢氏登場)

 

U(Umezawa):遅れてすいません…

どういう話をしたらいいんですかね。最近、4chanという海外の匿名掲示板サイトの管理者であるmootという人と会いました。彼に僕の作っている作品を見せたら、「Draw Ballって知っているか?」と、あるサイトを教えてくれました。「Drawball」は丸いキャンバス画面にみんなが絵を描いていくちょっと変わったお絵かき掲示板サイトです。

 

N:どう言う人が描くんですか?

U:いやもうほんとに、不特定多数の大勢ですね。英語なので、日本の人は少ないです。ツールの自由度としてはwindows付属のペイントツールに近くて、すごいシンプル。「お絵描き掲示板」というのはブラウザで開くとそのままウィンドウの中でぐりぐり描けるツールで、今はあまり使っている人が少ないですが、根強い愛好家もいます。描いた絵をその場でアップロードして掲示板でみんなで共有して交流を楽しむというのが基本的なスタイルですが、Drawballは大きな丸いキャンバスがひとつあるだけで、画面であると同時に交流のスペースの役割も持っている。一応横に一言チャットの欄もある。

N:その紹介してくれた方はどこの国の方なんですか?

U:クリス(moot)はたしかNY在住のアメリカ人です。15歳で掲示板立ち上げた、おしゃれでかっこいいギークという印象ですね。すごいスイーツが好きで、日本の美味しいスイーツ屋さんを紹介したら喜んでいました(笑)。僕の作品見せたらすぐに、おそらく直感的にDraw Ballを紹介してくれました。

N:これってはじめにテーマがあるわけじゃないですよね。

 U:ないですね。なんとなくみんなで描いている。wikiや掲示板を拠点にたまに一定数の人たちが、意図的にまとまりを持った大きな絵を描いたりしますが。

N:すごく面白いですね。これは世界の、というかアメリカのプラットフォームですよね。日本にはないんですよね。

U:そうですね。アメリカの2ちゃんねる的な文化の中の匿名的な創造力ですよね。集合知がそのまんま表れている。

 

絵画の身体性と音ゲーについて

 

U:ネットとかデジタルとかやってるとどうしても気になるのが、自分の身体と、イメージとの関係性なんですよね。

絵を描くっていうのは身体的な行為じゃないですか。そして絵というのは実在する物体である。でも僕の扱うイメージっていうのはネットとかデジタルとか、「もの」ではないものがリソースとしてある。実態があるようでないんですよね。だから形のある自分の身体というのがどうしてもネックになってくる。自分の身体が存在する限り汚れたり減ったり増えたりする。新陳代謝ですね。飯食ったり、トイレ行ったり、風呂入ったりしなきゃいけないわけじゃないですか。

それとネットやデジタルのイメージというのは相反する。水と油のようで、めんどくさい部分を感じます。飯も風呂もなくしてネットずっとやっていたい、みたいな感覚はここらへんと関係があります。トイレをペットボトルで済ますとかはさすがにやりすぎだと思いますが… 身体は自然生理に抗えないわけです、絶対。だからこそ、身体のことを考えざるを得ない。なぜ自分は身体を使って絵を描くのか、身体がない状態で絵を描けたらいいんですけど、そんなことはできません。どうしても身体と向き合う必要性がある。一秒一秒、ネットをやっている時でもその必要性が自分に迫ってくる。

そんな中で、ゲームというのは自分の身体とデジタルとの関係を考えるのに、すごく重要なトレーニングツールなんですよね。 デジタルっていうとつきつめるとどういうことなのかっていうと、0と1の世界なわけですよ。0と1の記号の組み合わせで、配列が決まっている。で、その配列を組み合わせて、色味とかピクセルの位置とかを組み替えて行くわけですよね。極論を言うと絵にしろ音楽にしろデータである限りデジタル記号の組み合わせの結果でしかない。それをつきつめていくとどうなるか。

我々は時間軸のある世界に生きています。動画というのはそれを限定されたフォーマットで再現している。デジタルの動画はフレーム単位で区切られています。フレームとは一コマですね、例えばゲームセンターにあるモニター。これは一般的な動画を再生するモニター全般もそうですが、一秒間にだいたい60枚デジタル画像が表示されて、結果人間に動きとして認識されている。僕のやっているゲームはそれを、いかに自分の身体でより正確に認識するかという作業なんです。音ゲーのことですね。

動き自体は映像の中で落ちてくるオブジェに対してボタンを押すという作業だけです。音ゲーで一番いい評価は、60フレーム中の2フレーム分です。1秒間の中で連続で、60枚表示されているデジタル画像の中から、2フレーム分を目と身体で認識して、そのとおりのタイミングで押すと一番いい評価が得られる。それを何百何千回と繰り返す作業です。これを極めるということは予め規定されているデジタルの配列組み合わせに身体をできるだけ沿わせて、デジタルそのものになるという行為だと僕は考えています。デジタルとの対話とも言えるでしょう。一番難しい難易度の曲のジャンルが、「HUMAN SEQUENCER」となっているのも、そういう意味があるのではないかと勝手に解釈しています。

N:でも、どうして、それが動画を制覇しよう、じゃないですけど、なんでそれが動画、というか、なんでなんですか。

U:うーん、もともとゲームが好きというのはあったんですけど。音ゲーのプロとか見ていると、もう信じられないくらいすごいんですよね。もう、神っていうか。圧倒される。

N:でも、すごかったですよ、梅沢さんも。

U:あんなもんじゃないんです。

N:え、そうなの?

U:あんなの神プレイに比べたらチンケなもんです。

N:ええーー、私はどうやっているかさっぱり分かんなかったんですけどね!

U:すごく上手いプレイを見た時の感覚ってすごい絵や作品を見た時に似てるんですよね。ただただ圧倒されて、もうどうやって描いてるか想像もできない。 ただ、絵よりもゲームの方が理解しやすいようにできている。絵は例えば歴史的に有名な絵、宗教画などでものすごい絵があってそれを見て感動しても、歴史的な意味とかその背景にある文脈など、絵に紐付けられている色んな要素を勉強しないとわからないようになっている。対してゲームはどうやって押しているかとか、画面の中でルールがほとんど描かれているんですよね。基本的にそのようにデザインされている。

例えば上から落ちてくるオブジェに合わせて、ボタンを押している、という行為をものすごい高度な処理でやっている、と何も知らない人が見てもなんとなく理解できるんですよね。ゲームは「遊ぶ人」がいるのを前提に作られているので、当然といえば当然なのですが。 日本はちょっと意識が低いですが、それでも絵は創造的な行為で文化的だと公に認められている。対して、ゲームというのは全然それがないわけですよね。低俗な行為というか、「ゲームなんて、いつまでそんなくだらないことやってるの」みたい認識は変わらずある。

N:言われがちですよね。

U:もっと参照されるべき点はたくさんあると思うんですけどね。視覚的に見ても創作行為や競技スポーツと同じくらいの高度なことが行われている。「社会に認められていないけど、本当はすごい」というのはむしろアート的ですらある。 むしろそっちも突き詰めることが、ある種社会に対するメッセージになるのかもしれない。「俺はこんなにこのゲームやってる」と。あなた方はこんなにこのゲームを認めてないけど、俺からしたらゲーマーってアーティストなんですよって。ゲーマー達にはそんな気全くないだろうけど。だからその創造的行為を、なんとか社会に繋げたい、という気持ちはありますね。その人達がいくらやっても飯を食っていくのは非常に難しいわけで。

N:食えないわけですか。

U:食えるわけ、ないじゃないですか(笑)

N:いや、スポンサーついてさ、なんかこう、プロでやってるとか・・・

U:日本でもスポンサーついている人はいますけどね。

N:本当ですか。

U:ネットやゲーマーの間ではめちゃくちゃ有名な梅原大吾さんていう方です。2010年にアメリカの、ゲーム機の周辺機器などを作っている大手の会社がスポンサーにつきました。また梅原さんは本を出したりしていますね。ゲームをやる上での精神論をビジネス論に置き換えて独自の人生観を展開しています。プロゲーマーの中でも梅原さんは動画サイトですごく人気だし、かなり特殊ですね。ゲームをよく知らない人にも知られていて、ネットにおけるカリスマ的存在として認知されている。他にも日本でプロゲーマーと呼べるような人たちは居ますが、知名度で言うと梅原さんが有名ですね。

N:そうなんだ。

U:それは誰でもなれるわけじゃないですね。いろいろな確率が絡まった結果、梅原さんという逸材が神として扱われている。 その偶然性は日本のアニメの状況と似ている所があるかもしれません。ジブリや、またエヴァを生んだガイナックスというのは、意図的に設計されて生まれたわけではないんですよね。神的な作品というのがいくつかあって、日本の誇るべきアニメ文化になっているわけですけど、では第二、第三のジブリやガイナックスがどうやって出てくるのかは誰もわからない。様々な才能が偶然に絡まって出来たわけですよね。

ちょっと話がずれてしまった気がしますが、とにかくましてやゲームの、それもプレイヤーの世界なんてもっと難しいわけです。アートとゲームのプレイヤー視点との間で接点を探ることで、何かいい方向性が見いだせないかなあと僕自身は考えているんですけど。

N:うんうん。それは、つまり音ゲーの世界を、梅沢さんの作品の世界観に持ち込もうとしているわけですか。

U:そうですねえ。ただ、それは自分の中で模索しています。

N:あくまで二次元なわけですか?それとも空間的な要素は入ってくるわけですか?

U:イメージとしては、たとえば絵の構図がシューティングゲームの画面とかに似てくるかな、とか思ってるんですけどね。ひとつの物体をすごい早さとすごい密度で処理していく感覚。でもただ画像的な密度を上げていくだけでは抽象的な画面になるだけで、最近はどちらかというと扱うモチーフやテーマが具体的になってきています。神やら宗教やら、ある種美術の世界では伝統的に扱われてきたテーマなんですが、それと音ゲー的な創造力が反映された画面との接続、融合が結構難しいですね。今も作っていますがなかなか苦戦しています。

N:難しそう。

U:目下の問題はそれですね。過去の美術作品や宗教画を参照したりしています。

N:昔のインタビューで、梅沢さんがもともとこういう作品を作られるようになったのは、好きな漫画の世界と、今やっていらっしゃる美術の世界をつなげようとした、という内容があって、そういった同じ枠組みの中で、音ゲーの世界と美術の世界をくっつけようとしている、ということですか。

U:そうですね。今の、それこそ僕より若い世代の作家や美大生とかってアニメとかゲームとかが好きな人はいっぱいるんですけど、作っているものはそれとは乖離したアートアートした作品の人が多いんですよね。無理にアートにしようとしているというか。あまり直接的すぎるのもあれだけど、もうちょっとその自分の血なり肉なりの元になっている日本のサブカルチャーみたいなものとの接点が画面の中に現れてもいいと思う。好きじゃなかったら別にいいんですけど。

M:(さっき少し話にも出た)シューティングゲームなんですけど、「弾幕」っていうものがあるんです。

こういうわけのわからない弾幕の中をくぐり抜けて行くスリルを楽しむゲームで、多重レイヤーの世界になっているし、それは先ほどの音ゲーにも通じるものがあると思いますが、梅沢の作品にも通じるものがありますね。

U:音ゲーの画面的密度はシューティングゲームに近いものがありますね。 関係ないかもしれないですが、音ゲーはPVのような動画と音楽と譜面の組み合わせでできているので、ネットで人気な作曲者とかイラストレーターとかを起用しやすいんですよね。今はネットで人気のあるコンテンツのほうが公のゲームやアニメよりも人気あったりするので、大手のゲーム会社がネットの在野の人たちをスカウトして公に輸入したりしている。音ゲーってその構造が非常に分かりやすく現れているんですよね。具体的にはボーカロイドの楽曲を扱う音ゲーが増えた。

N:今後作品の中で動画を使うとか出てくるんですか?出てくるんですかって変な話なんですけど。だって、その音ゲーとかって、音と時間の要素が入るじゃないですか。なんかこう、そういう作品を制作するご予定があるのかな、と。

U:GIF動画みたいな作品は前から作りたいと思ってるんですけどね。絵だと思っていた作品が実はちょっとずつ動いている…みたいな。空間のなかでうまく配置することでよい効果が出せるのではないかと。ARを使って現実空間に画像的レイヤーを生み出したり…とか、作っているのは平面作品が多いですが、色々考えてはいます。

M:ARは、今年挑戦する予定です。

N:超面白そう。

U: ・・・

(終わり)

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(東出)今回はアーティストの梅沢さんと、その所属ギャラリーCASHI代表でいらっしゃる松島さんを交えて、三人でお話させていただきました。松島さんには、梅沢さん推しの理由、そして梅沢作品の魅力を聞いてみたい(確認したい)と常々思っておりましたので、今回とても良い機会をいただきました。私はいわゆるアニメなどにとても興味のあるタイプではないのですが、梅沢さんの作品には、別格の魅力を感じております。完全に一ファンのひとりとして、制作のこと、今後の展望なども知ることが出来た貴重な時間でした。GIF動画作品、早く見てみたいです!

 

 

 





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